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【2026/11/01 19:19 】 |
長野工藤氏
長野工藤氏(ながのくどうし、単に長野氏とも)は、伊勢国に勢力を持った有力国人である。元来は工藤氏と称していたため、他の長野氏と区別するために、「長野工藤氏」と呼称されている。
藤原南家 乙麿(乙麻呂)流の一族で、曽我兄弟に殺された工藤祐経の三男・工藤祐長が、伊勢平氏残党の討伐のため、伊勢国長野の地頭職となって安濃・奄芸二郡を給わり、その子・工藤祐政が長野に来住して長野氏を名乗ったのが、長野氏の起源である。
鎌倉時代から伊勢国中部の有力国人として君臨したが、南北朝時代に入ると、南朝方国司の北畠氏が伊勢に進出する。このため、長野氏は北朝方に与して伊勢の覇権を争った。ちなみに、この時代に書かれた『梅松論』にも「長野工藤三郎左衛門尉」という名乗りの人物が登場している。
南北朝時代が終焉した後も北畠氏との抗争は続き、1467年からの応仁の乱でも長野氏は西軍(山名宗全側)、北畠氏は東軍(細川勝元側)に与してそれぞれが争った。
戦国時代に入っても抗争が続いたが、やがて北畠氏に英主と言われる北畠晴具が現れ勢力を拡大し、また、近江六角氏の北伊勢に対する圧力も強まると、長野氏の第15代当主・長野藤定は次第に力を失っていき、1558年、藤定は晴具の攻勢の前に遂に屈服し、晴具の嫡男・北畠具教の次男・長野具藤(長野御所)を養嗣子として迎えた上で、長野氏第16代の家督を継がせた。これにより両家は講和し、長野氏は北畠氏の傘下となったのである。
晴具の没後まもなく、尾張の織田信長が伊勢に侵攻してくる。晴具の後を継いだ具教と、長野氏の当主である長野具藤は織田軍に抵抗したが、信長の攻勢の前に敗れ、北畠氏は信長の次男・織田信雄を、長野氏は信長の弟・織田信包を養嗣子として迎えた上で家督を譲ることを余儀なくされ、北畠・長野両家は今度は織田氏によって傘下に置かれたのである。
そして1576年11月、信長の命令で北畠具教が暗殺された後、長野具藤も田丸城で北畠一族もろとも殺される。信包も後に織田姓に復し、国人領主としての長野氏は滅亡した。
歴代当主

長野祐政【一】
長野祐藤【二】
長野祐房【三】
長野藤房【四】
長野豊藤【五】
長野経藤【六】
長野義藤【七】
長野光忠【八】
長野宗忠【九】
長野政藤【十】
長野藤継【十一】
長野藤直【十二】
長野通藤【十三】
長野稙藤【十四】
長野藤定【十五】
長野具藤【十六】
織田信包(長野信包)【十七】
系図

工藤 祐長 ┣━━━━┳━━━┳━━━━━━┳━━━━━━┳━━━━━━┳━━━━━━━━━━━┓ 祐政 有坂祐光 祐能 坂本祐氏 祐忠 祐朝 祐広 ┣━━┳━━┓  ┣━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┓  ┣━━┳━━┳━━┓  ┣━━┳━━┳━━┓ 祐藤 祐泰 祐村 祐政 祐宗 祐重 祐兼 祐賀 能氏 祐貞 祐宗 祐賢 祐継 祐盛 祐藤 祐泰 祐村 祐政 ┣━━━━┳━━━┳━━┓  ┣━━┳━━┳━━┓                 ┃ 祐房 雲林院祐高 祐冬 高景 祐景 泰祐 祐光 ◇                 友房     ┃      ┃ 藤房  分部氏へ                                     ┣━━┳━━┓ 豊藤 祐茂 祐経            ┣━━━━━━━━━━━┳━━━━━┓ 経藤 分部祐成 細野藤信   ┣━━┳━━━┓          ┃ 義藤 藤忠 川北藤照 細野氏へ   ┃ 光忠 ┣━━┓ 宗忠 教藤    ┣━━┳━━┳━━┓ 藤直 藤継 祐藤 政藤                                   ┃        通藤            ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━┓           稙藤 細野藤光    ┣━━┳━━┳━━━━┓      ┣━━━━┳━━━━┓    藤高 藤定 藤光 雲林院植清 細野藤敦 分部光嘉 川北藤元 ┣━━━━┳━━━┓           北畠具藤 織田信包 藤勝
一族・家臣団

分部氏
分部光嘉
分部光信
細野氏
細野藤光
細野藤敦
雲林院氏
川北氏
なかのくとうし *
----------------------------------------------
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
Text is available under GNU Free Documentation License.
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【1970/01/01 09:00 】 | 大名 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
江馬氏
江馬氏(えまし)は、桓武平氏の一族。平経盛の遺児輝経が北条氏に仕えたのに始まるという。
概略

戦国時代に、江馬時経が登場し江馬氏は戦国大名として名乗りを上げる。時経は飛騨の北部に勢力を築き、国司姉小路家や三木氏(のち姉小路氏)とたびたび争った。時経の子の江馬時盛の代においては、飛騨は武田信玄の領地信濃国や、上杉謙信の領地越後国と接していて、時盛は武田氏に臣従する道を選び姉小路良頼との抗争を有利に進めた。だが、時盛が子の江馬輝盛と対立し暗殺されたのちは江馬氏は上杉氏に臣従するという道を選んだ。その後は織田氏の力を背景にした姉小路自綱の力が強大化し、江馬氏は衰退していく。1582年に本能寺の変が起きると、織田氏寄りだった姉小路氏と争ったものの、八日町の戦いに負け、輝盛は戦死し、戦国大名江馬氏は、事実上滅亡した。輝盛の後継とみられる江馬時政は金森氏を頼ったものの、のちに反乱を起こし殺害され、江馬氏は滅亡した。
系図

江馬時経  ┣━━━━━━┓ 時盛    麻生野直盛  ┣━━┓   ┃ 輝盛 信盛 麻生野慶盛  ┃      ┃ 時政    麻生野家頼
えまし
----------------------------------------------
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
Text is available under GNU Free Documentation License.

戦国武将一覧

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【1970/01/01 09:00 】 | 大名 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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